2016.02.14

「肝心のスパイクは先送りして、フェイや脚を撃たれた男の話などを考察していきます」

カウボーイビバップ 第25話ザ・リアル・フォークブルース(前編)

絵コンテ:渡辺信一郎 / 演出:佐藤育郎 / 脚本:信本敬子

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クーデターに失敗したビシャスは長老たちにとらえられ、スパイクとジェットもレッドドラゴンの襲撃を受ける。二人は何とか敵を退けたのだが、その時スパイクはジュリアもレッドドラゴンに狙われていることを知る。

第25話の主要スタッフ。絵コンテ・渡辺信一郎、演出・佐藤育郎、脚本・信本敬子、作画監督・小森高博。メカ作画監督・後藤雅巳。

以下は核心部分を含みます

2018.12.11 追記

上京したての頃、一年ほど警備員のアルバイトをしていたことがあります。その会社、売上高は業界三位で2号業務(交通警備)では最大手(ただ四季報の業界地図とかには載ってないんですよね。その会社の決算書を見る限り売上高は今でも業界三位っぽいんですが……)だったと思います。その会社の社長の話がかなり印象的だったので、その時の話を一つ。

ある日、社長は古くから一緒にやってきた役員が辞めたという話をしていました。その役員は、警備とは関係のない全く別の事業を始めるということだったのですが、事業計画書を見る限りかなり厳しいだろうと思ったそうです。そして本当は自分が引退した後、一回り若いその役員に会社を継がせたいとも思っていたそうです。しかし共に戦ってきた戦友が、自分の夢のために全てを捨てて挑戦しようとしているのに、自分の都合で引き止めることは出来ない。だから「『自分の夢をつかんでこい』といって送り出したんだ」と言っていました。

今思えば、これがジェットの「なくしたもんとやらを探してこい」という台詞と同じ意味だったのかな、などと考えてしまいます。

< 第25話に関して >

当然ながら今回の主人公はスパイクです。しかしスパイクに関しての考察は、第26話に先送りします。

また分岐点と概略ですが、今話が物語の前半部分であるため、転換点が後ろに押し出されている印象を受けます。実際にはジュピター・ジャズのように、26話と合わせて前後半で考えた方がいいのかもしれません。ただそうも言ってはいられないので、第25話単体でまとめてみます。

主人公

「スパイク・スピーゲル」

ストーリー

「レッドドラゴンの襲撃を受けたスパイクは、ジュリアも狙われていることを知り、フェイからの伝言を頼りにジュリアの所に向かい、再会する」

分岐点と概略

第一幕概略 「レッドドラゴンに襲撃されるスパイク」
第二幕への転換点(6m00s) 「ジュリアも狙われていることを知る」
第二幕前半概略 「ジュリアとの回想」
中間点(14m30s) 「フェイからジュリアのことを聞く」
第二幕後半概略 「レッドドラゴンの襲撃」
第三幕への転換点(21m00s) 「ジュリアの所に向かう」
第三幕概略 「ジュリアとの再会」

第25話を分解

カウボーイビバップ 第25話 パラダイム

1.シン「長老たちが動き出します」
ジュリアが部屋に戻ると、留守番電話にシンからの伝言が入っています。「長老たちが動く」というのは、スパイクやジュリアをふくむ異分子を全て排除するということだと考えられます。この時点で「長老たちが動き出す」ことを知っていたということは、ビシャスがクーデターを実行しようとしている前段階で、スパイクたちの襲撃を実行に移していたということになります。つまり最初の段階から、ビシャスの計画は後手に回っていたということです。

ここで一つの疑問。この時点でビシャスのクーデターは起こっていません。にもかかわらずシンは長老たちが動くということを知っています。シンは誰の命令で動いていたのか? そもそもシンがメッセージを残したのはいつなのか? 第26話の冒頭にもつながりのシーンがありますので、次話でまとめて考察します。

2.ビシャス「蛇の毒は後からゆっくりと効く」
一応補足。第12話でも長老たちは「蛇は龍を食らうことは出来ない」とビシャスを蛇に例えています。この台詞「ビシャスは後継者にはなれない」といった意味にも取れますが、「クーデターを起こしても成功はしない」という意味のほうが正確かもしれません。

3.ジェット「前はこんなことはなかったぜ、二人でやってた時はな」
そして最後に「お前が女と子供が嫌いなわけがよく分かったよ」とつぶやきます。エドが去った寂しさを隠すための強がりでもあるわけですが、ある程度額面通りの意味でも受け取っていいのかと思います。もちろんフェイやエドのことも仲間だと思っていたのでしょうが、スパイクのことは二人とは違い同志だと思っていたのではないでしょうか。(確実な根拠はないのですが、この後の流れを考えるとそう推察出来るような気がします => 若干ずれている気が……下記で修正

<修正>
このシーン、ジェットの「あんなヘマをやらかしたのは初めてだ」という台詞から始まります。「あんなヘマ」とは何だったのか? エドが去ってから何か仕事をして失敗したとも考えられますが、「二人でやってた時」「女と子供が嫌いなわけがよく分かった」と言っていることを考えれば、エドにだまされてアップルデリーを探した件で間違いないかと思います。ただ、第18話でウィットニーの賞金額を間違っていたこともあったので、ジェットの愚痴も今更感があります。そう考えるとこのジェットの台詞は、エドが去った寂しさを自分自身に納得させるため、またスパイクに「そうだよな」という同意をもらい、今の状態で良いんだよなと思い込みたかったのではないでしょうか。

4.スパイク「リン」 シン「弟のシンです」
万機(ばんき)を守って死んだリンと違い、シンは組織を裏切りスパイクの味方をします。また最終話でシンは、スパイクに戻ってきて欲しかったとも語っています。そう考えると他にもレッドドラゴン内にスパイクのシンパがいる可能性は捨て切れません。組織を辞めたスパイクまで狙うことに対し、ジェットは最低の理論だと吐き捨てましたが、あながち長老たちの判断は間違いではなかったと思います。

A.スパイクの回想シーン
回想シーンは最終話でも登場するので考察は後回しにします。一応、登場するカットを抜き出し、時系列順に並べてみます。(これまでも「第5話 堕天使たちのバラッド」と「第13話 ジュピター・ジャズ(後編)」で考察をしています)

ep25-s01.ドアが開く音に振り返るジュリア
ep25-s02.ドアから入ってくるスパイク/スパイク「これが終わったら俺は組織を抜ける」
ep25-s05.ジュリアの横顔/ジュリア「あなた殺されるわ」
ep25-s08.スパイクの横顔/スパイク「死んだことにするのさ」
ep25-s13.メモを差し出すスパイク
ep25-s14.二人の引きシルエット/スパイク「墓地で待ってる。もちろん生きた姿でな」ジュリア「私は一緒には行けない」スパイク「来るんだ。ここから、この世界から抜け出すんだ」
ep25-s15.魚が向かい合うの置物?/ジュリア「そして、どうするの?」スパイク「どっかで自由に暮らすだけさ」
ep25-s16.スパイクの横顔/スパイク「夢でもみるようにな」
ep25-s17.メモを受け取るジュリア
ep25-s18.ジュリア、スパイクを見つめる
————
ep25-s03.タバコを捨てるスパイク
ep25-s04.花束を持ち教会へ向かうスパイク
ep25-s06.教会、敵の銃撃
ep25-s07.火を吹くバラの花束
ep25-s11.教会、敵の銃撃
ep25-s12.教会、スパイクの銃撃
ep25-s09.スパイクの銃のアップ
ep25-s10.撃たれるスパイク

時系列順です。棒線は日付またぎ、ep25-s01という表記は、第25話スパイクの回想1カット目という意味です。なおカットのキーカラーは全てブルーになっています。(キーカラーに関してはもはや意味などないのかもしれませんが……)

B.ジュリアの回想シーン
車を運転するジュリアの横顔にビシャスの声がかぶさり、回想が始まります。このことから、この部分はスパイクの回想ではなく、ジュリアの回想であることが分かります。

ep25-j01.銃を突きつけられるジュリア・寄り/ビシャス「俺を裏切るつもりか」
ep25-j02.銃を突きつけているビシャス・引き/ビシャス「この世界から抜け出すか」ジュリア「ビシャス」ビシャス「たとえ夢でも不可能な話だ」ジュリア「彼を殺すの」
ep25-j03.銃を机に置くビシャス/ビシャス「そうだ。お前の手で」
ep25-j04.ジュリアがビシャスを見上げ驚く
ep25-j05.ビシャスのアップ/ビシャス「生き残るか、二人で死ぬか。お前が選べ」
ep25-j06.ジュリア、あきらめたような表情
————
ep25-j07.メモを破り、窓から捨てすジュリア
ep25-j08.窓から捨てられたメモが舞い落ちる

ep25-j01という表記は、25話ジュリアの回想1カット目という意味です。そしてスパイクの回想と同じく、全カットでキーカラーがブルーになっています。しつこいようですが、回想シーンの考察は後日しっかりとやります。

一点だけ補足。スパイクの提案とビシャスの提案に対し、最後はジュリアの台詞のないアップ(ep25-j06、ep25-s18)で終わっています。そのため二つの提案が緊張感を持ったまま対比され、何を選んだかではなく、何を選ばなかったのか、という効果的な印象を作れているような気がしました。

5.空港のソファーに座り独り言をつぶやくパンチ母
唐突に入るパンチ親子の話。最終話に向けて準レギュラーキャラの結末をフォローするという意味もありますが、ここにフェイが立ち会っていることを考えると、もう一つ別の意図があるかと思います。この時のパンチ母の独り言、冒頭部分が若干聞き取りにくいのですが「結局どこにも居場所なんてないのさ。誰が迎えに来たって、あたしゃ行かないよ絶対。邪魔にされるだけの暮らしはたくさんだ」と言っています。あらためて抜き出すと神の視点に近いのですが、このパンチ母の台詞がそのままフェイの気持ちということではないでしょうか。

そしてこの後、パンチが迎えに来て母親を連れて帰ります。その様子を見たフェイは「なんだかねー」とつぶやきます。この「なんだかねー」は何に対してなのか? 四案。

甲案.パンチが母親を迎えに来たことに対して
いじけている母親をパンチは喜んで迎え入れます。そんな二人を見て、自分のことも誰かが迎えに来て、同じような言葉をかけてくれるかもしれない、と思ったのかもしれません。しかしそんなことがある訳はないとすぐに思い直したため、この言葉が出たのではないでしょうか。

乙案.パンチにホイホイとついていった母親に対して
どこにも居場所がないと語っていた母親。パンチに連れられてたどり着く先は、偽物の居場所かもしれない。それなのにパンチの言葉を信じてついていくんだ、というさめた視点からの言葉です。

丙案.期待していた自分に対して
記憶を取り戻し、ビバップ号を飛び出したフェイ。自分にも同じように待っていてくれる家族がいるかもしれないと期待していたはずです。しかし現実は違いました。つまり自分にはそういう場所も、そう言ってくれる人もいないという、諦めにも似た冷めた気持ちから出た言葉ではないでしょうか。

丁案.この強引な展開に対して
何の脈略もなく突然登場するパンチ親子。まるで内輪ネタのようなこのシーンに対する、視聴者の気持ちを代弁しての言葉。残念ながら初見時はこう思ってしまいました。

以上。フェイの物語は第24話で完結しているため、期待を持たせる甲案よりは、それ以外の案の方がいいような気がします。個人的には丙案押しですが、もしかすると各案が絡み合った感情かもしれません。

6.レッドテイルに戻るフェイ
フェイがレッドテイルに戻ると、呼び出しのアラームがなっています。しかし、応答ボタンを押す前に一瞬の迷いが生じます。ここはそのまま、ビバップ号を出る時にもう戻らないと決めていたため、呼び出しに出るかどうか一瞬の迷いがあった、と考えていいのではないでしょうか。そしてこの後、呼び出しに出ないという選択もあったとは思うのですが、もう自分の帰るべき場所はビバップ号しかないということが分かっていたため、いつもと同じように呼び出しに出たのだと思います。

そしてその後の流れ。フェイはスパイクの顔を見て、やはりここだけが自分の存在を証明してくれる場所だと感じ、少しホッとしたのではないでしょうか。そのため一瞬気がゆるんでしまい、それをごまかすように、もしくは見透かされないように「なんでしょう?」と表情を変えたと考えられます。

この部分に関しての別案。スパイクの第一声は「いまどこだ?」です。パンチが母親を迎えに来たように、スパイクも自分のことを迎えに来てくれるのかもと思ったのかもしれません。そのため一瞬気がゆるんだとも考えられます。ただどちらにしても、スパイクはいつもと変わらない態度だったため、フェイも「帰る場所がある」と強がった受け答えをしたのだと思います。

7.ジュリア「さよなら、フェイ・ヴァレンタイン」
なぜジュリアはフェイのことを知っていたのか? 出会いのきっかけを見る限り、意図的にフェイに近づいたということはありえないと思います。そこで手がかりになりそうなのはお互いの自己紹介。フェイが自己紹介をした時に、ジュリアはフルネームを聞き直します。まず基本情報として、ジュリアはスパイクを探しています。そのためスパイクがビバップ号に乗り賞金稼ぎをしていること、そしてビバップ号にフェイ・ヴァレンタインという女がいるということを知っていたと考えられます。単純にこれしか思い浮かびません。

しかしその情報をどこで知ったのか? 第12・13話ではすれ違いになっていますし、それ以降にはジュリアは登場しません。そのため憶測になりますが、第9話の冒頭、エドがハッキングをしたゲート公団のページには、通過した船と乗組員情報が記載されています。そこから、誰と一緒にいるかは(ハッキングなどで?)簡単に調べられる状態だったとも考えられます。もしくは第22話、スパイクが賞金首の間で有名だということから考えれば、その仲間の名前もある程度知れ渡っていたのかもしれません。

この時フェイはスパイクへの伝言を頼まれます。これがフェイのビバップ号に戻る理由になります。そのままですが一応解説。フェイは本当の居場所があると信じビバップ号を飛び出したのですが、本当の居場所はありませんでした。つまりビバップ号に戻るということは、過去の自分を完全に失うということを意味します。そのため色々と理由をつけ、現実と向き合うことを先延ばしにしていました。もしかするとフェイは自分を納得させる理由を探していたのかもしれません。

★.ジェット「こんな話を知っているか」
ジェットがスパイクに話した物語、ジェットの世界観を読み解く鍵になると思われます。またそれは、ジェットがスパイクのことををどう思っていたのかを考える手がかりにもなるはずです。その部分を抜き出してみます。

ジェット「狩りの途中で足に怪我をした男がいる。治療のあてのないサバンナの真ん中で、足は腐り死神が忍び寄る。やっと迎えに来た飛行機に男は乗り、眼下に広がる純白の世界を見る。光り輝くそこは、雪をかぶった山の頂だ。山の名前はキリマンジャロ。男は思う、自分が向かっているのはそこなんだと」

そしてこの物語に対してジェットの感想、スパイクの感想と続きます。そもそもこの物語はいったい何なのか? 後段で解説と考察を行います。

8.スパイク「なんかあんのか?」
ジュリアからの伝言という理由で自分を納得させ、ビバップ号に戻ったフェイ。上記・分解7の補足。フェイにはそれでも戻らないという選択肢もあったと思います。しかし自分とは違いスパイクには待っている人がいる、そう思った時そのことを伝えずにはいられなかったのではないでしょうか。しかし、いざスパイクの姿を見てしまうと、そのことを伝えることが出来ません。なぜか?

単純に考えます。ジュリアからの伝言を伝えてしまうと、スパイクがもう戻ってこないと思ったからではないでしょうか。それは最後に残ったたった一つの居場所が壊れてしまうことを意味します。そして去り際に見せた表情は、自分にはここしか帰る場所がないのに、スパイクには本当の居場所があるのかという寂しさだと思います。

ちなみにこの一連のシーンを根拠に、「フェイはスパイクに対して恋愛感情があったのかなかったのか」という問題が想定されます。はっきり言って結論はもう出ていると思うのですが、一応全話まとめで再度考察してみます。

9.ジェット「まだ右のスラスターが動かないぞ」
用語解説でスラスター。ざっくり言えば推進エンジンのことです。左右のスラスターで旋回をしたり水平のバランスを取っていると思うのですが、レッドテイルは問題なく動いています。そこから考えると、メインもしくは予備の推進エンジンや姿勢制御システムが別に存在すると考えられます。

10.右手にバラを持つスパイク
墓地にたどり着いたスパイク。この時スパイクはジュリアに銃をつきつけられる訳ですが、利き手は拾ったバラでふさがっています。そして最後にバラを持つ手のアップが入ります。このカットはどういう意味なのか?

ここで第25話が終わる訳ですが、この時点でジュリアがどう思っているかはまだ分かっていません。ジュリアの回想で「スパイクを殺せば自由になれる」という前振りがあるため、スパイクを撃つのではないかとも考えられます。つまりここは「利き手がふさがっていて素早く銃を抜くことが出来ない、やられるのか!?」という緊迫感を出すための演出だと思います。

あとバラに関して若干の補足。このバラは「あの日」を象徴するものとして、度々回想シーンに登場します。そのためこの墓地のシーンが「あの日」の続きという意味になるのだと思います。ちなみにバラの花言葉は「愛」、赤いバラは「情熱」や「I love you」という意味になります。
 

The Snows of Kilimanjaro

この「脚を撃たれた男の物語」、アーネスト・ヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』から引用です。そしてざっくりと一部分を取り出した形になっています。この部分はどういった意味での引用なのか、物語の中身を知らないと、考察すらままならないと思います。そこでまずは『キリマンジャロの雪』の解説から入ります。ヘミングウェイの短編をまとめるという行為は非常におこがましいのですが、予備知識として一応解説します。

「キリマンジャロの雪」アーネスト・ヘミングウェイ 作(1936年8月 エスクワイア誌掲載)
二十代で金と名声を手にしたヘミングウェイは、その後大した物も書けずに、道楽三昧の日々(若干語弊があります)を過ごし、三十代も終わりにさしかかっていました。この作品はそんな悶々としていた時期に、『エスクワイア』という雑誌に発表した小説です。そもそもこの小説、スペイン内戦で反ファシストの共和国政府を支援するための資金集め目的で書かれた物です。

<基本情報>
下記概略にまとめた冒頭の「豹」の話はエピグラフ(=文頭にある序文)です。この「豹」が作品で最も有名な部分であり物語を端的に表しています。そして話の中身ですが、雪山で豹の屍を見たことを始め、アフリカへサファリツアーに行ったら赤痢にかかって死にかけ、飛行機で搬送される際にキリマンジャロを見たことなど、多くの部分はヘミングウェイの実体験が元になっています。

<ストーリー概略(箇条書き風)>

“キリマンジャロの西の頂は「神の家」と呼ばれていて、その近くには凍りついた豹(ヒョウ)の屍があった。なぜ豹がそこにいたのかは誰も知らない”

アフリカで狩猟をしていた小説家のハリー(以下・男)は、脚の怪我が原因で死にかけている。側には男を何とか励まし看病する妻のヘレン(以下・妻)がいる。しかし男は妻を邪険に扱い、妻が止めるのも聞かずに酒を飲み始める。そして男はヨーロッパで過ごした日々を回想する。

男は回想をしながら、いつか小説にしようと思っていた体験を何一つ書き残していないことを後悔する。そして看病を行う妻を否定するかのように悪態をつき、眠ってしまう。

朝、飛行機の音が聞こえる。

飛行機は男を乗せ飛び立つ。平原をこえると、目の前に黒々とした山脈が現る。飛行機は高度を上げ嵐の中へと入る。暗い嵐の闇を抜けると、目の前に真っ白に輝くキリマンジャロの頂があった。男は思う、自分が向かっているのはそこなんだと。

……

ハイエナの鳴き声で目をさます妻。まだ日は登っていない。懐中電灯を手に男のベッドに向かうと、見るに耐えない男の姿があった。妻は男の名前を呼び叫ぶが、男の返事はなかった。

以下はざっくり解説なので参考程度に。

ジェットの話からは分かりませんが、最後にこの男は死にます。飛行機に乗ってキリマンジャロうんぬんの下りは、死に際に見た夢です。そして登場する小説家のハリーはヘミングウェイ自身であり、このまま何も残さずに死んでいくのではないかという苦悩の中でこの作品を書き上げました。

冒頭の「豹」もまたヘミングウェイ自身が投影された姿であり、キリマンジャロは彼が目指していた小説家としての理想だと思います。そして理想を目指しても、頂にたどりつけず豹のように死んでしまうかもしれない。しかし、それでも自分はその理想を目指さなければいけないんだ。ヘミングウェイはこの小説にそんな思いを託したのではないでしょうか。

ちなみにこの作品の発表後、ヘミングウェイはファシズムと戦うためにスペイン内戦に身を投じます。そしてその体験を元に『誰がために鐘は鳴る』という戦争文学の傑作を書き上げるのです。

以上が『キリマンジャロの雪』のざっくりとした全体像です。文学評論でこんな薄っぺらい解説をすると笑われますので、興味のある方はしっかりとした人に話を聞いた方がいいと思います。

脚を撃たれた男の物語から見えること

ジェットが引用した部分は、脚を撃たれた男が死に際で見た夢です。このエピソードを語った後、ジェットは下記のように感想をのべます。

ジェット「……俺はこの話が大っ嫌いだ。男は過去ばかり思い出す、死に際で、必死に自分が生きていた証拠を探すようにな。引き返せ。最初に会った時お前は言った、俺は一度死んだ男だってな。もういいだろう」

このジェットの台詞をもう少しかみ砕いて見ていきたいと思います。そのため再度『キリマンジャロの雪』から補足を入れます。ハリーが見る光り輝くキリマンジャロ、途中までは「目指すべき場所」という印象を受けますが、最後まで読み進めるとそれは同時に「死の象徴」であるということが分かります。「引き返せ」といったのは、「光り輝く山の頂」が目指すべき場所であると同時に、死を意味するからです。そしてスパイクは一度それを求めて死んだのです。ジェットが初めて会った時のスパイクは山の頂を目指して死んだ豹であり、そして今目の前にいるスパイクはキリマンジャロに向かおうとしているハリーなのです。ジェットは腐敗した警察を辞め、元妻の思い出も捨てて、理想や過去ではなく今を生きるという道を選びました。そう考えると、ジェットは本心から「脚を撃たれた男の話」が嫌いで、本心からスパイクを止めようと思っていたはずです。

しかしそんなジェットの例え話に、スパイクは「あいつは、俺がなくした俺の片割れさ。俺が欲しかった、俺のかけらなんだ」と答えます。とりあえずスパイク側からの考察は第26話に先送りします。

「なくしたもんとやらを探してこい」

ジェットの価値観から考えれば、過去にこだわり死にに行くスパイクの行動に同意は出来ないはずです。しかしジェットはスパイクを送り出します。三年間一緒にやってきた同士として、本当の仲間だと信じているからこそ、スパイクの思いを理解しジェットは送り出したのです。

これです。ここも擬似家族論を否定する材料にさせて下さい。エドが抜けたことにより、擬似家族が崩れたという意見を聞くことが多いのですが、エドの存在がスパイクとジェットの関係に強い変化をもたらしたのでしょうか? もしエドがこの時点でビバップ号に残っていたとしても、ジェットは同じようにスパイクを送り出したと思います。それにジュリアの伝言がなければ、エドが抜けた後も二人で賞金稼ぎを続けているはずです。そう考えるとはじめから擬似家族などという枠組みは存在しなかったのではないか?

擬似家族論否定への反論。擬似家族が崩壊するのは、レッドドラゴンが動き出したことが原因で、軸となるスパイクがビバップ号ではなくジュリアを選んだため。エドが抜けても影響がなかったのは、エドは擬似家族の中で子供という位置づけであり、子供が巣立っても家族は崩壊したりはしない。……やはり詳しい考察は全話まとめで行います。

余談的補足

『キリマンジャロの雪』はアメリカの小説です。原文で読まない限りは誰かの翻訳にたよるしかありません。当然ながら訳者によって違う本と言ってもいいくらい翻訳が違います。選ぶ本を間違うと、妻の台詞回しが「おやめになって」とか「もう、少し遅すぎてよ」などとお嬢様口調になっていて、非常に気持が悪いです。実際に妻は金持ちという設定なので、そうなったのかもしれませんが……

この妻の設定で補足。物語の中でハリーは、妻が金持ちだということをなじります。これは成功を収め金持ちになったヘミングウェイ自身の自己批判であると思われます。そしてこの時のハリーの台詞。訳者によって変わりますが「金持ちのあばずれ女」だったり「金持ちの雌犬」などと妻に罵声を浴びせます。そして「これは詩なんだ」などと、意味不明なフォローをします。この部分、長いこと意味が分からなかったのですが、原文を見ると「You rich bitch」となっていました。そう、ダジャレです。

最後にもう一点補足。この『キリマンジャロの雪』、1952年にグレゴリー・ペック主演で映画化されています。しかしラストが、飛行機の音が聞こえ主人公が助かるという設定に変更されており、作品の持つテーマが完全に失われています。ちなみにパブリックドメイン(著作権切れ)ですので、ネットでも映画を見ることが出来ます。(もう一つ余談で、2011年に公開されたフランス映画『キリマンジャロの雪』はヘミングウェイとは全く関係のない作品です)

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参照・引用(外部リンク)

『会社四季報 業界地図 2016年版』 東洋経済新報社 編/ 東洋経済新報社 / 2015
『キリマンジャロの雪』 E・ヘミングウェイ 著 / 龍口直太郎 訳 / 角川文庫 / 1969
『ヘミングウェイ短編集 下』 E・ヘミングウェイ 著 / 谷口陸男 訳 / 岩波文庫 / 1987
『ヘミングウェイ全短編 2』 E・ヘミングウェイ 著 / 高見浩 訳 / 新潮文庫 / 1996

「カウボーイビバップ」各話の考察

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