2013.05.14

「皆が良作と認めつつも、中だるみありとの意見もちらほら。その構造的理由とは?」

四畳半神話大系(全11話)

監督:湯浅政明 / シリーズ構成:上田誠

89

薔薇色のキャンパスライフを夢見ながら、京都の大学に通う『私』。現実は理想とはほど遠く、不毛な並行世界を幾度となく繰り返す。

原作は森見登美彦の同名小説。2010年春「ノイタミナ」枠で放送。監督は『マインド・ゲーム』の湯浅政明。シリーズ構成・脚本は劇団ヨーロッパ企画の上田誠。OPはASIAN KUNG-FU GENERATION、EDは相対性理論のやくしまるえつこ。2010年度文化庁メディア芸術祭アニメーション部門にて、テレビ作品として初の大賞を受賞。

以下は核心部分を含みます

放送時、周りで見たと言う人がいなかった作品。オープニングがアジカン。エンディングがSUPERCARのいしわたり淳治さん+電気の砂原良徳さん+相対性理論のやくしまるえつこさん。そして原作は森見登美彦さんと、サブカル好きには受けそうなのに、なぜかサブカル好きの同僚達の話題にも上がっていなかった。しかしそういった意味では、「面白い作品だから見て」と勧めやすかった。

話はそれますが、アジカンの「迷子犬と雨のビート」というオープニング曲。この曲が入っている「マジックディスク」というアルバムがかなりお薦めです。もともとアジカンは好きも嫌いもなかったのですが、「新世紀のラブソング」という曲に衝撃を受け、初めて買ったアジカンのアルバムです。ただ昔からのファンに言わせると「新世紀〜」はアジカンらしくなく駄目らしいです。「迷子犬〜」もその流れを組む駄目な曲だと言われてしましました。僕も「迷子犬〜」はそんなにでしたが、OPがアジカンということもこの作品を見るきっかけになった一つです。

<初回鑑賞時>
正直この絵が動き出した時、最初だけだろうと思った。しかしオープニングが開けてもこの絵のまま。「マインド・ゲーム」とは違いテレビ作品なのに……もしかしてこの絵が永遠と続くのであれば、この作品は受け付けないかもと思ってしまう。しかし、それは完全な杞憂に終わる。小劇場の舞台のような作品。くだらない設定、馬鹿馬鹿しい台詞回し。そして湯浅政明監督のこの絵だからこそ、独特の世界観が上手く表現されていたのだと思う。

また毎話、馬鹿馬鹿しい話で、それでも十分楽しめる作品だったのだですが、第10話・第11話の展開に衝撃を受けた。1話完結の馬鹿話で、最後に明石さんと結ばれて終わり、という構成だと思っていたが、積み重ねた馬鹿話を、こういった形で回収してくるとは想像もしていなかった。TVシリーズのアニメとしては、個人的には五指に入る作品。

<2回目鑑賞時>
初見時は、馬鹿っぽい展開にただ笑っているだけだったが、再度通して鑑賞してみると、細かい部分が伏線になっていたり、インサートされているカットに意味があったりと、かなり計算されて作られていることが分かる。その辺の細かい所は、各話のレビューで書いていきます。

<3回目以降鑑賞時>
原作を読んでからの鑑賞。アニメ版と細かい設定や展開が違い、原作もかなり面白かった。そして改めて、アニメ版は森見さんの世界観が良く表現されていると思った。これなら先に原作を読んでいても、面白いと思えたはず。余談だが、さすがに何回も見ていると、若干気になる部分をが出てくる。根本的な所ではないので、だからどうしたという話なのですが。

<まとめ>
見てくれた知り合いや同僚は、みんな良く出来ていて面白いかったという感想をくれる。しかし人によって若干の温度差。良作とは認めつつも、いまいち盛り上がりに欠け、結末が普通すぎるという意見もちらほら。しかし僕はこの何気ない中途半端な学生生活が、妙になつかしく、リアリティーを感じた。きっと人それぞれの思い出によって、感じ方が変わるのかもしれない。いや、それは考えすぎで、もっとエンターテイメント性があり、ドラマチックなストーリーを求めていただけかも。

その良い作品と皆が認めつつも、何かもやもやした感想。なぜそういった事になってしまったのか、全体構成を分析しながら、後述いたします。

< 物語に関して >

TV作品を映画と同じ切り口で、語ることが出来るのかどうかは分かりません。ましてや完全1話完結型の作品。上田誠さんがシリーズ構成としてクレジットされている以上、出来ると信じてやってみる。ちなみに「四畳半神話大系公式読本」も「四畳半神話大系オフィシャルガイド」も読んでないので、間違った解釈があると思います。

まず、全体の概要。

主人公

「私」

テーマ

「不毛と思える日常も、様々な色に彩られていて素晴らしい」

ストーリー

「薔薇色のキャンパスライフを夢見る私が、失敗を繰り返し、薔薇色ではないが充実した大学生活を手に入れる」

テーマに関しては、第11話のレビューでもう少し詳しく解説しています。

そして構成。1話から9話までは、各話ごと一人の登場人物紹介という形になっている。全体の転換点は9話終わりに配置してあり、10話・11話が二幕後半・三幕となっている。そう考えると中間点が後ろにずれ込んでいるため「中だるみした」という意見がちらほらと聞かれたのかもしれない。

分岐点と概略

第一幕概略 「薔薇色のキャンパスライフを夢見る私が、」
第二幕への転換点(01話ED) 「選択を後悔する」
第二幕前半概略 「何度も入学時に戻りやり直す」
中間点(09話B) 「どのサークルを選んでも失敗」
第二幕後半概略 「平行世界の四畳半を彷徨う」
第三幕への転換点(10話ED) 「それぞれの四畳半が彩りに溢れている事に気づく」
第三幕概略 「薔薇色ではないが充実した大学生活を手に入れる」
四畳半神話大系 パラダイム

(今回の画像はクリックで拡大出来ます)

中間点がない?(Bパターン)

各話のレビューが書き終わりましたが、なんとなくBパターンの解釈を考えてみました。

もちろん主人公は『私』。1話から9話までは、各話ごと一人の登場人物紹介という形になっている。ここまでは同じです。しかし、各話のつながりが分散されているため、本来であればシリーズの中盤ぐらいで必要であった、中間点がない。そのために「中だるみした」という、感想がちらほらと聞かれたのではないか。しかし放送が11回に分かれているので、途中の数話を抜かしても話についてこられるように、こういった構造にした可能性もある(いや、それはないか)。

そして、ここが前の解釈と違うのですが、「どのサークルを選んでも失敗してしまう」(第9話 Bパート)というのが、三幕への転換点と解釈。それを受けて、引きこもった主人公が、今までの選択の素晴らしさに気付き、薔薇色ではないが充実した大学生活を手に入れる。

最初の案とほとんど同じようにも思えるが、第10話を二幕の延長と見るか、三幕(解決)の導入と見るかが違う。だから何?という事でしかないが、個人的に好きな作品なので、一部の人が言っていた「物足りなさ」が何なのかが知りたかっただけです。

第一幕概略 「薔薇色のキャンパスライフを夢見る私が、」
第二幕への転換点(02話A) 「サークルの選択からやり直す」
第二幕概略 「平行世界を繰り返す」
第三幕への転換点(09話ED) 「どのような選択をしても失敗」
第三幕概略 「薔薇色ではないが充実した大学生活に満足する」
四畳半神話大系 パラダイム

(今回の画像はクリックで拡大出来ます)

やっぱりB案は間違いです。三幕への転換点をこのように解釈すると、主人公が受動的に「薔薇色でない日常」を受け入れた形になってしまう。これはそんな話ではない。

各話の概略

第1話 テニスサークル キューピット
物語の状況説明・前提条件が描かれる第1話。主人公は『私』という人物であり、薔薇色のキャンパスライフを手に入れる、という劇的欲求が明かされる。樋口師匠・城ヶ崎先輩・羽貫さん・相島先輩など、今後のストーリーで絡んでくる人物も一通り登場。しかし今回は、全体ストーリーの軸となる私・小津・明石さんを中心に構成されている。

ここで重要なのは、主人公の劇的欲求は「薔薇色のキャンパスライフを手に入れる」という事であり、これを「明石さんと結ばれる」と解釈してしまうと、全体の解釈がおかしげな事になる。「明石さんと結ばれる」は、「薔薇色のキャンパスライフ」の一部にすぎない。そして、その劇的欲求の壁となっているのが、小津という人物である。

第2話 映画サークル「みそぎ」
ここから第二幕に突入。これ以降の回は、第1話で後悔をした『私』が別の選択をした場合、どういった結末をむかえる事が出来るか、という話が一話完結で描かれていく。そしてこの回では『私』と小津を軸に、城ヶ崎先輩という人物の紹介、という作りになっている。またその過程で、師匠と呼ばれる人物との確執(第4話)、香織さんという人形(第7話)といった、この後への布石が登場する。

第3話 サイクリング同好会「ソレイユ」
まっとうな大学生活をおくっている(送ろうとしている)『私』を通して、仮のヒロインである明石さんという人物が紹介される。そして自転車整理軍(第9話)、樋口師匠のしまなみ杯の賞金(第4話)と、一見ネタのようだが、今後回収されていく話も登場してくる。

第4話 弟子求ム
この回では『私』との関係を通して、樋口師匠の人となりが説明される。そして第2話・第3話で登場した情報も、ある程度回収されます。また中盤で登場する「樋口師匠の歌」も、なんとなく解釈できたので、第4話の詳細ページで解説しておきます。

第5話 ソフトボールサークル「ほんわか」
第1話で名前のみの登場だった、小日向さんが登場。そして、箱船の強奪・『ほんわか』でない連中など、後に明かされる大きな伏線が隠されている。

そして余談ではあるが、この第5話。こういった事にのめりこむ人は必ずいるもので、僕も2つの団体に勧誘されたことがある。団体名は出してもいいのか分からないが、一つは「アムウェイ」。そしてもう一つは日蓮宗系の新興宗教(名前が思い出せない、創価学会ではないです)。僕も『私』と同じように意味も分からず、その説明会に参加した。その時の話は第5話のレビュー時に書きます。

第6話 英会話サークル「ジョイングリッシュ」
第6話〜第8話は3つのサークルを選ぶという流れで、ワンセットになっている。そして『私』の選択を通して、羽貫さんの樋口師匠への気持ちが明らかになる。そしてもう一人の『私』であるジョニーもこの回で初めて登場。

また余談ですが、この6話から登場するジョニー。『東のエデン』を見たときに、なぜジョニーなんだろうと思ったが、森見登美彦さんへのオマージュだったんですね。そういえば京都の鴨川沿い四畳半とか、森美咲とかもありました。

第7話 サークル「ヒーローショー同好会」
この回は『私』が3人の女性の中から香織さんを選ぶという設定で、『私』の偏った恋愛観が詳しく描かれている。構造としては、『私』・ジョニー・『私』の想像する香織さんの3人に役割を持たせ別々のキャラクターとして登場させている。そしてその三者の対話を通して『私』の中にある薄汚れた葛藤が描かれる。

第8話 読書サークル「SEA」
3人の女性の中で揺れ動く『私』を通して、景子さんの事が描かれる第8話。ひさしぶりに明石さんがストーリーに絡んできます。そして、第6話から続く、三話ワンセットの話が終わります。

第9話 秘密機関「福猫飯店」
今までに登場していた情報が、福猫飯店を通してつながり、小津の秘密が明かされる。そしてこの回は今までと違い、「あの日(時)に時間を戻したい」という考えを放棄する。どのような選択をしても薔薇色の未来はない、という思考の終着点に行き着き、第9話の終わりをもって、第二幕後半に入る。

第10話 四畳半主義者
『私』しか登場しない第10話。いままでに登場した様々な『私』の物語が1本につながります。また、いままでの主人公は「薔薇色のキャンパスライフを手にいれたい」という、行動欲求を持っていたが、第9話の終わりを挟んで「薔薇色のキャンパスライフなど夢幻」と、考え方が変わっています。そして、どのような選択をしても『私』は上手くいかないと思い、引きこもるという選択をします。その結果知ることになる「それぞれの『私』がそれぞれの色に彩られていた」という事が、物語全体の結末につながります。

第11話 四畳半紀の終わり
最終話。第1話で提示された「薔薇色のキャンパスライフを手に入れたい」という『私』の劇的欲求。様々な選択を繰り返して来た中で変わっていった『私』が、小津や明石さん(その他の登場人物)との関係を通して、物語の最終地点に帰結されます。ついでに、過去に登場した細かい部分も、きちんと回収されています。

スポンサードリンク

その他作品の考察

スポンサードリンク