2014.04.12

「肩すかし感の理由は展開の早さのせい?禁断の二重構造?なぜこの構成にしたのか?」

カウボーイビバップ 第1話アステロイド・ブルース

絵コンテ:渡辺信一郎 / 演出:武井良幸 / 脚本:信本敬子

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250万ウーロンの賞金首・アシモフを追うスパイクとジェット。そのアシモフは敵対する組織から非合法目薬「ブラッディアイ」を盗み出し、恋人のカテリーナと共に火星へと逃げようとしていた。

第1話の主要スタッフ。絵コンテ・渡辺信一郎、演出・武井良幸。脚本は信本敬子。作画監督は川元利浩、メカ作画監督・佐野浩敏。

以下は核心部分を含みます

2018.11.26 追記

まず感想。初見時にがっかり感があったと書いた第1話。正確に言えば期待していた分、肩すかしを食らったという感じでした。なぜそのような感想を持ったのか考えていきたいと思います。しかしここで大変困った問題が。面白いんです。今となっては「がっかり」とか「肩すかし」という感情が全く理解出来ないのです。しかし初見時の感情をなんとかひねり出してみると、理由はラストのあっけなさ。そしてありがちな展開だったと思います。今回登場するアシモフとカテリーナ。火星という設定を「メキシコ」とでもすれば、アメリカ映画とかによくある設定です。(後段に追記あり。逆ですね……)

しかし今は構成とか設定うんぬんではなく、この二人に感情移入が出来てしまうのです。年をとったせいなのか、それともめでたく負け組の一員となって田舎に帰ってきたためなのか。「いろんな人がいて、いろんな物があって、幸せに暮らしてる」これって東京のことですか?しかし結局は「金のあるやつだけ」ってことなのかもしれません。

薄っぺらい感想を書いてしまいましたが、頭の悪い僕の気持ちなどは、どうでもいいです。そこで、もう少しつっこんで考察してみたいと思います。

<追記>
不勉強なため最近気づきました、逆です。「火星」は「アメリカ」を指し、「ティワナ」はアメリカに国境を接するメキシコの町「ティフアナ (Tijuana) 」です。スパイクがポンチョを着て待ち合わせに来ていること、スパイクとカテリーナの「あそこ(火星)はなんでもあるんでしょ。こんなとことは違って〜(略)〜幸せに暮らしてるって」「金があるやつだけさ」という会話を考えれば、「アメリカ」に逃げようとしていたことは想像出来たはずなのですが……。組織から覚せい剤を奪ってアメリカに逃げる、まさに現実のメキシコとアメリカでもおこりえそうな話です。

< 第1話に関して >

まず深く考えずに基本的な解釈からいきます。

主人公

「スパイク・スピーゲル」

ストーリー

「賞金首のアシモフを狙うスパイクが、賞金首を取り逃がす」

分岐点と概略

第一幕概略 「賞金首のアシモフを狙うスパイクが」
第二幕への転換点(5m40s) 「ビバップ号から出発する」
第二幕前半概略 「アシモフを探す」
中間点(11m20s) 「アシモフに出会う」
第二幕後半概略 「アシモフにやられる」
第三幕への転換点(18m00s) 「再びアシモフに挑む」
第三幕概略 「賞金首のアシモフを取り逃がす」

主人公とゲストの関わりを通して話が進んでいき、各話完結でそのゲストの物語の結末にたどり着く。これが、カウボーイビバップの基本構成です。第1話に当てはめれば、アシモフという賞金首が話の主軸で、スパイクが彼を追いかけ、そして取り逃がすという話です。

しかし今回はなぜか、主人公と密接にからんでこない、もう一つの軸があります。それは「カテリーナ」の物語です。組織を抜け出したアシモフと火星に逃げようとしていたカテリーナ。しかし追い詰められたアシモフは、カテリーナを気遣う事すら出来なくなり、肉体も精神も壊れてしまう。そして逃げ切れないと悟ったカテリーナは、愛した人を殺し自ら命を絶つ。このカテリーナの物語は、スパイクがいなくとも結果は変わらなかったでしょう。そしてはっきり言ってしまえば、スパイクはこの物語には関わったわけではなく、見ていただけです。

なぜカテリーナを出さなければならなかったのか?アシモフだけでまとめた方が良かったのではないか?全体の最初の回であるために、スパイク(とジェット)がどういった人物であるかの設定や、この作品世界の基本設定、そして全体の方向性を視聴者に示さなければならない。それなのに賞金稼ぎ・スパイクとカテリーナといった二つ物語を、20分の中に混在させてしまう。短編ではやってはいけないはずの二重構造。そのために展開が急になり、あっけなく感じてしまったのではないのか?

そもそもなぜこんな構成にしたのか?
 

第1話の本当の意味

実はこの回、かなり計算されて作られているのではないでしょうか?

スパイクはカテリーナの物語に関わることなく、それを見ていただけと書きました。まずスパイクが目撃した部分をおさらいします。「組織を抜け出したアシモフと火星に逃げようとしていたカテリーナ。しかし逃げ切れないと悟ったカテリーナは、愛した人を殺し自ら命を絶つ」

これ何かに似ていませんか?

そうです。スパイクは、アシモフとカテリーナの二人に、自身とジュリアの姿を見たのです。これが第1話の本当の意味とも考えられます。交わらない二つの話で成り立っているわけではなく、カテリーナを通して、全体の主人公であるスパイクの物語が描かれているのです。そう考えるとなぜその台詞なのか?なぜそんな行動を取ったのか?解釈しにくい部分もすっきりします。

ただ残念なことに、初見時にはその事は絶対に分かりません。その情報が読み取れないため、何か物足りなさを感じてしまう。それが第1話の肩すかし感の正体だと思います。

今回はその考えを元に、第1話の部分解説をしていきます。
(下記、黄色のアルファベット番号が関連する部分になります)

第1話を分解

カウボーイビバップ 第1話 パラダイム

1.銃撃戦。血を流し笑みを浮かべるスパイク
今回のみオープニング前に短いシーンが差し込まれています。このシーン差し込みがある以上は、第1話の主人公はスパイクで間違いありません。そして、このシーンは最終話までの伏線となっているのですが、第5話と第13話である程度の意味は回収されます。

2.ジェット「特製チンジャオロースだ」
肉の無いチンジャオロース。第1話の最後も「特製チンジャオロース」が出てきます。そして最終話でスパイクが帰ってきた際にも「特製チンジャオロース」が出てきます。

3.ブル「お前は女に出会う。お前は女に狙われる。そして、死ぬ」
ブルの予言。スパイクは「またかよ。俺は一回死んでるんだよ。女に殺されてね」と答える。これも同じく最終話への伏線となっている。しかし初見時では「赤い目のコヨーテ」という情報、そしてこの後すぐカテリーナに出会うため、第1話の予言であるかのようにミスリードされてしまう。

伏線となっている、だけではスルーしているようなので「俺は一回死んでるんだよ。女に殺されてね」を簡単に解説。当然ながら撃ち殺された訳ではなく、ジュリアが待ち合わせ場所に来なかったという事ではないかと思います。(ジュリア=本当に生きている女=俺がなくした俺の片割れ=俺が欲しかったかけら、からの導き。詳しくはまだ第1話なのでここまでにしておきます)

4.スパイク「カメレオンじゃねえんだ!あちこち見えねえのさ!」
本筋には関係ないので、雰囲気だけで認識していた台詞。よく考えないと意味が分かりませんでした。カメレオンの目は左右別々に動くので視界が広い、的な意味です。

5.アシモフ「こいつが潰れたら終わりなんだ!気をつけろ!」
二人の子供であるならば新しい未来への希望となるはずなのだが、お腹に入っていたのは「ブラッディアイ」。二人は偽物の希望にすがり、そして破滅的な最後を迎えます。

6.カテリーナ「もう逃げ切れないわ」
スパイクに敗れたアシモフは、カテリーナを気遣う余裕すら失ってしまいます。そしてこの後アシモフは追い詰められ、さらに壊れていきます。当然ですが、逃げ切る事が目的ではなく、幸せになるのがカテリーナの望んだことです。カテリーナは壊れていくアシモフを見て、もう幸せは手に入れることが出来ないと悟ったのではないでしょうか。
 

第1話の本当の意味 考察

本題。上記で述べた「スパイクは、アシモフとカテリーナの二人に、自身とジュリアの姿を見た」という解釈に絡んでくる部分を解説します。

A.スパイク「水流した方がいいすよ」
冒頭、ジェットが手配書を見せ、スパイクはアシモフの顔を確認しています。アシモフが分からないという事はありません。それならばなぜ、スパイクはアシモフをすぐ捕まえなかったのか?

スパイクは冒頭のジェットから「アシモフは組織を抜け出して女の所に逃げ込んだ」と聞かされています。そう考えた時、スパイクはアシモフに自分をダブらせ、アシモフを見逃す気だったのではないでしょうか。その後、カテリーナに合ったスパイクは、のんきにタバコを吸い「雑魚は相手にしない(実際これも本心だろうが)」と言っている。もしこの後で、アシモフを捕まえるなら、最初に見逃した意味はかなり分かりづらくなります。

B.スパイク「火星に逃げるつもりか?逃げ回っても、どこまで行けるかな」
この台詞の直前、スパイクは悲しげな表情をします。その視線の先には妊娠していると思われるカテリーナの腹部。そして目線をそらし上記の台詞。この時スパイクはカテリーナに、ジュリアの姿を見たのだと思います。そしてもしジュリアと二人で逃げる事が出来た場合、どこまで行けたのかという、あり得たかもしれない別の自分に対する質問とも感じることが出来ます。

そしてその後、カテリーナに「誰なの」と聞かれます。組織からは逃げ切ったが、幸せを手に入れられなかったスパイクが、「時代遅れのカウボーイさ」と今のなれの果てを自嘲的に答えたのかもしれません。

C.カテリーナ「アディオス、カーボーイ」
アシモフにやられた後、上記の台詞を残し二人は去ります。その時、去りゆく二人をスパイクは追いかけることもなく眺めています。そしてこのシーン、かなり意図的に右目のみで二人を見ているカットを入れています。

必要上、右目に関しての補足をおこないます。最終話でスパイクは、片方の目で過去、もう片方の目で今を見ているとフェイに教えます。また第13話でスパイク自身が左の目が過去を見ていると説明しています。逃げる二人を見たのは右目、つまり二人で逃げるという、ありえたかもしれない今を見たのです。そのためこの後にスパイクは「いい夢見たぜ」と言ったのかもしれません。

ここが「スパイクは、アシモフとカテリーナの二人に、自身とジュリアの姿を見た」という考えの、最も主となる根拠です。(といいつつも考えすぎだと思う気持ちも強い)

D.スパイク「悪い夢さ」
深く考えなければ、アシモフにやられた事が「悪い夢」です。しかし上記の解釈を念頭に置いた場合、二人を見て思い出した過去が「悪い夢」と考える事も出来そうです。

E.カテリーナがアシモフを撃つ
そしてその後、ビバップ号に戻ったスパイクは、一人でトレーニングをし、しばらく窓の外を見つめています。一見死んだアシモフとカテリーナの事を考えているようにも見えます。しかし、スパイクがこういった態度を取ることは、これ以降ほとんどありません。そう考えると二人の死に感傷的になっていたわけではないと思います。この時スパイクの脳裏によぎったのは、もしジュリアと二人で逃げていたら、同じように死ぬしかなかったのだろうかという事だったのかもしれません。

以上(合っているかは分かりません)。

しかし、ここで新たな疑問がわきます。それではなぜ、最後にアシモフを捕まえに行ったのか?答えは簡単です。スパイクがこう言ってます。「返すとも。あんたには借りがある」そう借りを返しに行ったのです。そんな身も蓋もない解釈と思うかもしれませんが、これ以降の回でもスパイクは同じように、借りを返すという単純な理由で動いていきます。

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「カウボーイビバップ」各話の考察

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